摘要
《虞初新志》是清初文体风格颇为独特的一部文言小说作品集,在诸多传至日本的汉文典籍之中,作为一部短篇笔记小说的结集,迅速引起了日本学界的关注,不但屡经刊刻,且仿作甚多,引起了极大的反响。本文以《虞初新志》在日本的流传与影响为着眼点,旨在梳理其传至日本之后的一系列传播轨迹,把握以《虞初新志》为例的汉籍在域外所产生的深远影响。
引文
(1)大庭修《江戸時代における唐船持渡書の研究》,关西大学东西学术研究所,昭和四十二年(1967),696页。
(2)向井富《商舶载来书目》,文化元年(1804),写本。
(3)原文:“『明清軍談』の「呉県民夫死義」が『虞初新志』の「五人伝」を粉本にしていることが、容易に認定されるであろう。”徳田武:《『明清軍談』と『虞初新志?五人伝』》,《国文学解釈と教材の研究》,2005年第6期,24-32页。
(1)原文:“『虞初新志』の刊行は、康熙三九年(一七○○)で、我が元禄十三年に当る。それから『明清軍談』刊行の享保二年(一七一七)まで十七年、この間に我が国に渡来し、その中の話が翻案され、刊行されているのである。『商舶載来書目』には、『虞初新志』が宝暦十二年(一七六二)の所に見出されるが、実はそれよりかなり早くから我が国に渡来し、いち早く利用されているのである。”徳田武:《『明清軍談』と『虞初新志?五人伝』》,《国文学解釈と教材の研究》,2005年第6期,24-32页。
(2)邓长风《明清戏曲家考略续编》,上海古籍出版社,1997年,160页。
(3)王晓平《聊斋志异与日本明治大正文化的浅接触》,山东社会科学,2011年第6期,68-74页。(4)[清]张潮辑,荒井公廉训点《虞初新志》,群玉堂河内屋,文政六年(1823)。原文为隔点,标点为笔者所加。
(5)长泽规矩也《和刻本汉籍分类目录》,汲古书院,昭和51年(1976),147页。
(6)荒井公廉(1775-1853),名豹、公廉,字廉平,号鸣门,日本江户时代后期的汉学者。
(1)石川雅望(1753-1830),江户后期的国学者、狂歌师。
(2)川上眉山(1869-1908),明治时期的小说家,别号烟波山人。
(3)村濑栲亭(1744-1819),江户后期的汉学者。
(4)喜多村信节(1783-1856),江户时期的国学者。
(5)平岩米吉(1898-1986),日本的动物研究者。
(6)盐谷温(1878-1962),日本著名的汉学者。
(7)原文:“明清の諸文豪も餘技としてなほ佳人才士、英雄豪傑の逸事逸聞を取り、艶麗なる筆致を弄して、之を傳奇に作り上げました。例へば宋景濂の秦士録侯朝宗の馬伶傳王于一の湯琵琶傳魏叔子の大鐡椎傳の如き、いかにも文章が面白くはありますが、要するに傳奇體であります。”盐谷温:《支那文学概论讲话》,大日本雄弁会,大正十年(1921),第454页。
(8)浅井了意(1612-1691),江户时代前期净土真宗僧人、假名草子作家。
(9)上田秋成(1734-1809),江户时代后期的国学者、读本作家。
(10)龙泽马琴(1767-1848),江户时代后期读本作者,笔名曲亭马琴。
(11)佐藤一斋(1859-1772),江户后期的儒学者,精通朱子学、阳明学。
(12)原文:“初学者の読書の法を、書名を挙げ、説明を加へて、その順序や據るべきテキストを示し、読書中の心得注意を述べたもの。”长泽规矩也:《江户时代支那学入门书改题集成》(第二集),汲古书院,昭和五十年(1975),115-260页。
(1)佐藤一斋《初学课业次第》,天保3年(1832)。
(2)古贺侗庵(1788-1847),江户后期的儒学者,精通诸子百家。
(3)原文:“門人平野某?石井某の請に應じて、入門の書、上堂の書、入室の書に分けて書名を列し、時に讀法、参考書を注記、終に讀書の法を箇條書風に述べた書。”长泽规矩也:《江户时代支那学入门书改题集成》(第二集),汲古书院,昭和五十年(1975),87-114页。
(4)长泽规矩也《江戸时代支那学入门书改题集成》(第二集),汲古书院,昭和五十年(1975),109页。原文为隔点,标点为笔者所加。